霊気発祥の地、鞍馬寺の金剛床

臼井霊気の真の目的

 

臼井家だけの繁栄に使うのではなく、広く世の為に尽くしたい


靈氣の発見者である、臼井甕男氏は、慶応元年の1865年8月15日、岐阜県山県市谷合村(現在は美山町)で誕生されました。臼井家は、千葉一族を祖先とし、平安時代から鎌倉時代に活躍した武将だったそうです。

欧米や中国に数回渡航され、会社員、公務員、実業家、新聞記者、政治家秘書、刑務所の教戒師なども経験された後、「禅」の道に入られました。
 
そして、人生の究極とは、「安心立命」(あんじんりゅうめい)の境地に至ることだと悟られたのです。
 
「安心立命」、この言葉は、中国の北宋の時代に「永安道原」という人が編纂した「景徳伝燈録(けいとくでんとうろく)1004年」という本に出て参ります。
*この本は、五燈録の一つであり、漢以後、宋までの古文、すなわち「禅」の教えをまとめ、編纂したものです。

日本でも、五燈録の中で編纂された時代が最も古いこともあったのでしょう、「禅」の初学必読の書として読まれました。
*「五燈録」は、中国の宋時代に編まれ皇帝の勅許によって入蔵を認められた、五書を総称します。
 
「安心立命」の意味ですが、
『天命に身を任せて心を動かさず、いかなる時でも心が落ち着いていること』を意味しているそうです。
 
「安心」=心配がないこと 「立命」=天から与えられたものを全うすることで、
「天命に身を任せて心を動かさず、生死や利害に惑わされずに超然としている」という意味になるそうです。
 
 

臼井甕男・靈氣肇祖(ちょうそ)

臼井甕男・靈氣肇祖(ちょうそ)

 

さて、臼井氏は修行を続けられましたが、どうしても「安心立命」の悟りが得られず、禅の師に相談したところ、「一度死んでごらん(一度自分とだけ向き合う経験をする)」と答えられ、1922年春、京都鞍馬山で断食修行を始められたそうです。

 
そして、「断食中に大気に触れて不可思議に霊感し、治病の霊能を得たことを偶然自覚した」(臼井氏の言葉 臼井霊気療法必携より)
 

と言われ、これが臼井霊気の始まりとなりました。

以下、伝承部分に下線をつけます。
 

断食修行に入って3週間目の真夜中頃、脳に落雷をうけたような衝撃を感じ、そのまま意識不明の状態となりましたが、
夜明けにふと気付くと、心身爽快な気分に満ちており、その衝撃のときに感じたエネルギーが心身を貫き、体内との共鳴、(宇宙との)一体感を達成していました。

 
臼井氏は、この時の宇宙と自分との一体感を、「宇宙即我、我即宇宙」という仏教の言葉で表現されています。(霊気療法のしおり・臼井霊気療法学会より抜粋)
 
この言葉の意味ですが、文字通り、「宇宙は私だ、私は宇宙だ」という意味です。

大宇宙と人体は全く同じものからできていて、「全てのものに本当は境目はない」という意味になるそうです。現在の量子力学の考え方と全く同じです。

臼井氏は、宇宙の霊気が体内に満ち溢れ、「宇宙の霊気と体内の霊気の究極の共鳴状態こそが、安心立命である」と悟られたのです。


「共鳴状態」とは、「共に鳴ること」、「他の人の考え方や行動に自分も心から同感すること」という意味になります。

従いまして、宇宙と体内が究極に共鳴するという意味は、「魂に一番近い自分自身で生きていく」という意味になると言われています。

これが霊気の神髄である、宇宙的な生き方と言われています。

下記は当時の臼井氏の言葉です。
 
 

「今このような癒しの力を与えられたのは、誰でもできる手当療法を入り口として、安心立命への道を伝えるようにという、天からの啓示に違いない」

 
これこそが、臼井氏が霊気を世に広められた、真の目的だったのです。
 
他にも、こんな言葉を残されています。
 

「人は小宇宙と言われるが、本来の健やかな状態を取り戻すには、大宇宙との響き合いが必要である。両者をつなぐものは気と光であり、それが霊気である。」
 
「宇宙の霊気は周囲に満ちているのだから、体内の霊気との響き合いができれば良い。」
 
「人が宇宙から使命(役割)を与えられ、生かされている存在であるとするなら、宇宙が人の病気や不幸を望むはずがない。」
 
「人は本来、宇宙から健康に、幸福につくられているが、人がそれに背を向けて生きているに過ぎない。」
 
「霊気に、むずかしい理屈はいらない。自分の最も近いところ(宇宙)に真理はある。人がバランスを崩した時は、大宇宙の霊気を、ただ手を当てて流せば良い。」

 
私は最後のこの言葉が一番好きです。
 
伝承に戻ります。
 

悟りが得られたことに喜び、下山中、つまづいて足の指がはがれかけ、
思わず手を当てたところ痛みが去り、血が止まり即座に治癒してしまったといいます。山のふもとに小さな食堂があり、食堂の主人の孫娘が顔が腫れるほどの虫歯でしたが、頬に手を当てるとたちどころに痛みが引いたそうです。
さらに手当てを家族にも試したところ即効的な効果があり、手当ての力を確信されました。


臼井氏はこの力を、「臼井霊気」と名づけました。

前項でも説明させていただきましたが、「霊気」という言葉それ自体は、既に一般の方が使っていた言葉でした。だからこそ、自分の名前を付けたのでしょう。
 
そして、広く世の中の人にこの恩恵を与えたい、自他共に幸福を増進したいという思いから、研究の結果、この能力(臼井霊気)を他人に伝授する方法である「霊受」(アチューメント)を生み出されました。

臼井氏は、人は最終的に、「大宇宙の自然法則と、小宇宙である自分との精神が常に統一され、一体とならなければならない」という事を、特に大切に教えられたそうです。

これは、先ほどの「宇宙的な生き方」=「安心立命」とつながっています。

手当て療法を行う事で、あなたとあなたの大切な方々が心身共に健康になること。

そして、怒ったり、心配したり、不安がるなどの不調和な波動を起さない様に精神性の向上にも活用し、人としての幸福に至る事を、発祥時のレイキは最終目的としていました。

素晴らしい能力を発揮された方は、歴史的にも多くおられますが、
その能力を、「秘匿し、臼井家だけの繁栄に使うのではなく、広く世の為に尽くしたい」と、ご自分だけの能力とされず、他の人へ伝授する方法を生み出されたことは、本当に素晴らしいことだと感じています。
 
臼井氏は、大正11年4月に東京青山原宿で診療・治療を開始されました。大変盛況で、屋外に長蛇の列ができるほどでした。お弟子さん達にご自分の事を教祖と呼ばせず、肇祖(ちょうそ・はじまりの人)と呼ばせる方であり、レイキ能力の多寡で、同じ段階での方々を階級付けされることもありませんでした。大変謙虚な方だったと思われます。
 
大正12年9月には、関東大震災で多くの方を救済され、大正14年2月には、治療施設を拡張するために東京中野に移転されています。その後、広島、呉、佐賀などに出張の折、大正15年3月9日、広島県福山市にて三度目の脳溢血が起こり、62歳で死去されています。(二度目の脳溢血まではご自身で治療されたとのことです。)
 
そして、今なお、臼井霊気は世界へ普及を続けています。
 


 

招福の秘法(靈氣の五戒、五原則)

 
さて、臼井氏は東京青山で、臼井靈氣療法学会という治療所・道場を作られ、手当てを開始されました。
 
大きな反響を呼び、門外から道に人が溢れ、行列が並ぶほどの盛況だったそうです。

しかし臼井氏は、一度きちんと治療して治った筈の人が、しばらくすると再び治療に来るのを見て、

「人間は心を変えないと、本当に元氣にはならない」と気づかれたのです。

例えば、心因性の胃腸の痛みがよくなられた方が、再度心配ばかりされていますと、再発しやすいということです。

そして、臼井氏は禅の言葉の中から、下記の言葉が人が心を変えていく上で有効だと、特に薦められました。
 
解説は、当時の臼井氏の言葉とされているものです。
 

今日だけは、  どの日も等しく大切。今を大切に生きる。

①怒るな、   怒りの感情は、他人と自分を傷つける。
②心配すな、  すべては天まかせ。くよくよしない。
③感謝して、  人間は万物に生かされている存在。足る(満足)を知る。
④業を励め、 (ごうをはげめ)仕事だけではない、人生の課題も含む。
⑤人に親切に。 親切は伝染するもの。助け合うこと。

臼井氏がこれらの言葉の中で最も薦められたのは、「今を大切に生きる」ことでした。(臼井霊気療法のしおり)


これさえできれば、他は自動で達成できるそうです。

この気付きを踏まえて、安心立命への道のりを下記の様にご指導されていたと言われています。
 
①心を変えないと、人間は本当に元氣にはなれない、この事を理解しましょう。
②レイキの手当てを行い、宇宙と一体になることに慣れていきましょう。
③大宇宙と小宇宙である自分との精神が常に統一され、一体となるのを感じていきましょう。

臼井氏は生前、③の内容を最も厳しく指導されていたそうです。
 
その後、青山の治療所が手狭になったので、青山から中野に治療所を移転され、1926年、広島尾道市出張中に三度目の脳溢血で亡くなられました。二度目まではご自分で治されたそうです。

臼井氏の考え方を、レイキの技術同様に、いつまでも大切に伝えていきたいものです。

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